■ 妙高杉の原・スノーボードの旅
行って参りました、妙高杉の原2泊3日のスノーボードツアー。
レポートというにはオコガマシイ感じも否めませんが、3日間の珍道中を書いて見ようと思います。
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■ snowboardツアー前日
今週から一年ぶりにスノーボード行ってきます。昨年の悲劇から一年、ようやく雪山に行ける事になりました。
場所は新潟の妙高杉の原という九州の僕にとっては割とマイナーなスキー場だがスノーパークが充実してるのと、自然を生かしたコースが沢山あるのが決め手となりそこにした。無圧雪のコースが僕は大好きなのです。
後、ヒトが少なそうなのも良いかと。
温泉付の宿なので楽しみだ。
ツアーを決める前に、嫁K子に相談することにした。
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■ 2003野沢温泉
2003年の正月の野沢温泉での出来事。
今年は嫁のK子も初参戦で6人での参加だ。
僕ら兄弟は野沢温泉スキー場に行くと必ず、ゴンドラに乗り、ほぼ頂上付近の「森」と勝手に呼んでいるゲレンデへ向かう。
そこは圧雪のない場所。腰くらいまでふわふわの雪が積もっている。
真っ白な木々、少ない人、自然に出来たキッカー(ジャンプ台ね)・・・・
そこは天国を思わせる気持ちのいい場所
なのだった。
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■ バートン万歳
※2003年冬のテキストです。
毎年のことで今年も行ってきました、年越しスノボ。昨年同様、信州は「野沢温泉スキー場」へ。
今年も良い雪に恵まれ、最高のゲレンデコンディションに最高の天気も味方し、気分は最高潮。
なんと言っても今年はNEWブーツが我が手中にある。
BURTONのDRIVER
だ。
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■ アルファリゾート・トマム
2002年、北海道の有名ゲレンデ、アルファリゾートトマムに行ったときのレポです。
天気予報は3日とも晴れ。積雪は170cmとまずまず。ま、北海道にしては少ないかな?吹雪かないのが一番だね。
福岡より飛行機→JR北海道にてトマム駅へ。
まず、ビールを飲みながら駅弁を。メニューはさんざん迷った挙句、
「ウニ弁当」
これしかないでしょ。
初めてのJRでの移動。荷物の置き場が少ないのがちょっと、なカンジだけど、風情があってとてもよかった。
スキー場に来てもほとんど感じることのない、「雪国」気分を堪能。列車に揺られ、ビールも飲んで、ふつふつと湧き上がってくるボルテージを抑える。
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■ HOTWAX
メンテナンス、といってもスプレーワックスをかけて終わり。って人がほとんどだと思います。
僕も数年前までそうでした。しかし、スプレーワックスは「しないよりはマシ」という程度。リフト2,3本で終わってしまいます。
雪山に来てやっとノッてきた。 と思ったらもう滑らない板なんてつまらないですよね?
特に春先の緩斜面。板が滑る人は何事ないですが、滑らない人は途中で板をはずさないといけない。あれはツラい。
滑りにものすごい差が出ます。
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■ 人間が残す刻印
セメントの歩道が公園に格子模様を描く。
ひねくれ者は、たいくつな格子模様を外れ、木がまばらに植えられた場所を横切るが、幸運なことに、結局はセメントの歩道をたどる私と同じ所に行き着く。歩みを止める。
芝生に残る足跡は、急いで向こう側へ渡ろうとして一直線になるではなく、木の周りを左へ右へと歩き回ったり、あるいは2本の木の間をゆっくりと歩き回った、まるでスラロームのような緩やかな弧を描いている。
何人もの人たちが同じコースをたどり、それは人間の残した刻印となっていた。
私は自分のルート選びについて考えた。私の行く先もまた、この木々の向こう側である。
A点とB点を結ぶにはどんなルートが最高なのだろうか?
イースタンシエラのバックカントリーでのこと。
最初の大吹雪の一団が通り過ぎて2日後、3人が集まった。
凍るように寒いが、不平を言う者はいない。雪は乾いている。
急な登りではジグザグにスイッチバックし、長い弧を描くトラバースではスライディングしながら、いくつもの尾根を登る。
あたり一面、森閑としている。
聞こえるのは、自分の規則正しい呼吸と足元できしむ雪の音だけである。
頂上では誰も一言も発しない。
ハイクアップ用のウェアをしまい、足元の雪を踏み固める。
ついにドロップインする時がきた。
仲間の一人がもう我慢できないとばかりに、
「オーーッ!」
と歓声を上げ、標高差450mをわずか数ターンで降りていった。 スプレーでのサインを残しながら。
それぞれが思い思いのスペルを雪に描きながら降りていく。
右ターンが大きくカーブを描き、見えなくなったかと思うと、スロープの遥か下方に再び現れ、そして尾根に当てこんだ左ターンへと、途切れることのないラインを引く。
急斜面のツリーランでは、走り書きしたようなラインが描かれる。
松の古木の間を縫うようなタイトなターンが、突然、はるか左の波のようなバンクに、向きを変える。遠目にも、吸収した重力を解放すると同時に、最高の波に乗ったようなボトムターンのような予感がした。
ボトムから見上げると、足元のボードまで、自分が描いたラインが続いていた。
まだストラップは締めたままで、つま先が痺れているしかし、終えたばかりのトラックを目でたどるのは、
滑るのと同じくらい楽しい。トラックは滑りの出来を教えてくれる。
テレマークターン、スノーボーダーのトラック、サーファーが好みそうなラインを描くスプリット・ボード、それぞれ違って見えるけれど、目指すところは同じである。
そう、公園の気ままな散歩道。
楽しさが生み出した刻印である
ベースに集まると、それぞれが近寄ってハイタッチを交わし、テルモスの湯気が立つ温かい飲み物を回し飲みした。
目的を同じくする仲間意識と、格子模様から外れた今日の滑りの満足感に浸る。
地平線にかかった灰色の雲が、次の雪嵐の訪れを告げていた。
朝になると、トラックは消え、また真っ白なキャンバスが用意される。
報告。2つの点を結ぶ最高のルートは、フリーライドに間違いない
■ スノーボードの歴史
スノーボードは1970年代にアメリカで生まれた比較的新しいスポーツで初めはソリにひもをつけた様な簡単なもので圧雪していない雪 を滑ったことが始まりです。
この時代にスノーボードの原型で2人の青年が雪山で遊んでいました。
この二人の若者が後のスノーボードを発展させていくことにある・・・そう!彼らの名前はいまや巨大メーカーとなった会社の代表ジェイク・バートンとトム・シムスである。
次第に今の様なビンディングやエッジが付くなどと言う改良が進み今の様な形になりました
90年代に入ってから爆発的人気になって、98年からはオリンピック正式種目にもなりました、スノーボードがこれほどまでに 人気が高いのは、自由なスタイルと自己主張だと言われています
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