セメントの歩道が公園に格子模様を描く。
ひねくれ者は、たいくつな格子模様を外れ、木がまばらに植えられた場所を横切るが、幸運なことに、結局はセメントの歩道をたどる私と同じ所に行き着く。歩みを止める。
芝生に残る足跡は、急いで向こう側へ渡ろうとして一直線になるではなく、木の周りを左へ右へと歩き回ったり、あるいは2本の木の間をゆっくりと歩き回った、まるでスラロームのような緩やかな弧を描いている。
何人もの人たちが同じコースをたどり、それは人間の残した刻印となっていた。
私は自分のルート選びについて考えた。私の行く先もまた、この木々の向こう側である。
A点とB点を結ぶにはどんなルートが最高なのだろうか?
イースタンシエラのバックカントリーでのこと。
最初の大吹雪の一団が通り過ぎて2日後、3人が集まった。
凍るように寒いが、不平を言う者はいない。雪は乾いている。
急な登りではジグザグにスイッチバックし、長い弧を描くトラバースではスライディングしながら、いくつもの尾根を登る。
あたり一面、森閑としている。
聞こえるのは、自分の規則正しい呼吸と足元できしむ雪の音だけである。
頂上では誰も一言も発しない。
ハイクアップ用のウェアをしまい、足元の雪を踏み固める。
ついにドロップインする時がきた。
仲間の一人がもう我慢できないとばかりに、
「オーーッ!」
と歓声を上げ、標高差450mをわずか数ターンで降りていった。 スプレーでのサインを残しながら。
それぞれが思い思いのスペルを雪に描きながら降りていく。
右ターンが大きくカーブを描き、見えなくなったかと思うと、スロープの遥か下方に再び現れ、そして尾根に当てこんだ左ターンへと、途切れることのないラインを引く。
急斜面のツリーランでは、走り書きしたようなラインが描かれる。
松の古木の間を縫うようなタイトなターンが、突然、はるか左の波のようなバンクに、向きを変える。遠目にも、吸収した重力を解放すると同時に、最高の波に乗ったようなボトムターンのような予感がした。
ボトムから見上げると、足元のボードまで、自分が描いたラインが続いていた。
まだストラップは締めたままで、つま先が痺れているしかし、終えたばかりのトラックを目でたどるのは、
滑るのと同じくらい楽しい。トラックは滑りの出来を教えてくれる。
テレマークターン、スノーボーダーのトラック、サーファーが好みそうなラインを描くスプリット・ボード、それぞれ違って見えるけれど、目指すところは同じである。
そう、公園の気ままな散歩道。
楽しさが生み出した刻印である
ベースに集まると、それぞれが近寄ってハイタッチを交わし、テルモスの湯気が立つ温かい飲み物を回し飲みした。
目的を同じくする仲間意識と、格子模様から外れた今日の滑りの満足感に浸る。
地平線にかかった灰色の雲が、次の雪嵐の訪れを告げていた。
朝になると、トラックは消え、また真っ白なキャンバスが用意される。
報告。2つの点を結ぶ最高のルートは、フリーライドに間違いない