■ 音楽の歴史 feat.ayu [ 音楽の歴史 ]
幼い頃から自分の聴いてきた音楽を赤裸々に語る、
音楽の歴史。
CROSSBREED管理人、僕の歴史です。
もうミーハーで飽きっぽくてダサダサです。
読んでやってくださいね。
1976
いやいやエレクトーンを始めさせられる。練習がいやでいやでしかたなかったが、音楽にはコードというものが存在することをなんとなく理解していた。
当時はポンキッキの挿入歌になっていた
ビートルズの曲
「オブラディオブラダ」 等が大好きだった。もちろん
ビートルズの曲だということは知らない。
もっぱら、アニメ、特撮モノの曲をこよなく愛す。
1982
異性への目覚めとともに、アイドル系を聴き始める。
ザ・ベストテンと、コーセー化粧品歌謡ベストテン
は毎週欠かさずチェック。
当時あった家具調のステレオ(オーディオのことを当時はこう呼んだ)でFMを
エアチェック。もちろん母からもらったボロカセットテープにせっせと録音した。イントロにかぶるアナウンサーの声がうっとおしくて。(笑
初めて買ったレコードは、
アルフィー「星空のディスタンス。」
高見沢氏の長髪は海外のロックも知らない、フォーク世代でもない僕にはなんとも別世界でした。このとき小学6年生。
1983
夕焼けにゃんにゃんはなくてはならない番組であった。もちろんおにゃん子クラブは写真集を買う程はまった。
とんねるずは神、オニャン子クラブの着てた
HIP'S ROAD
というDCブランドのTシャツが欲しくて欲しくて。当時山口県に住んでた僕はそんなものとは程遠い、
ケミカルジーンズ
に身を固め、ゲームセンターに行く毎日でした。
まだまだCDなんてモノはなく、なけなしのお小遣いで、「ドーナツ盤」を買っておりました。高井麻巳子、大好きでした。
1984
空前の洋楽ブーム(オレ的)到来。英語の授業では先生が英語に慣れさせようと、歌詞カードを配り
マドンナ「ライクアヴァージン」の合唱を強制。もちろん歌詞カードには恥ずかしいコトバが。
一体この先生は何を考えていたのだろう?
そして歌謡ベストテンから、
ベストヒットUSAに見る番組が変わった。洋楽を聴いてることがかっこいいというところが少なからずみんなあったように思う。
マドンナ、a-ha、マイケルジャクソン、ヒューイルイス&ザ・ニュース、BONJOVI等をこよなく愛すようになる。あと
ヨーロッパなんてのもいたねえ
[The Final Countdown]
ちなみに、
U2の
「ヨシュアトゥリー」が激売れしていたが、全く理解できず、
ビートルズの
「サージェントペパーズ・・」にも手を出してみるが
BONJOVIの方が絶対に良い
と信じて疑わなかった。 ある意味濃い時代。
1985-1986
我が家にもCDコンポ導入。始めて買ったCDは
KUWATABANDの
「ROCK CONCERT」桑田氏は天才だと思った。kuwataband売れてました。ここにも
ビートルズの名曲カバーが。しかしそんなこと全然気にしないバカな僕。
洋楽も聴いたが、邦楽ブームが再燃焼した。
TMネットワーク、
尾崎豊、
小比類巻かほる、渡辺美里等を死ぬほど聴いた。
まだ、このころはカラオケなんてものはスナックや
歌声パブのみに設置されており、中学生の僕は夜な夜な厚さ5センチ程もあるどでかいウォークマンで歌ってたっけ。
小室氏に憧れてコンピュータミュージックをやりたくなる、という単純な行動に出てみる。随分前に辞めたエレクトーンを弾いてみるもあっさり敗退。悔しさがこみ上げてくる。
小室氏が使っていたシンセサイザー「EOS」を本気で買おうなどと思ってみたりした。
キーボードの雑誌に載っていた
坂本龍一、カシオペアに出会い、ハマる。この頃レンタルしてTAPEに録音して聴きまくっていた
[media bahn live][mint jams]は今でも名盤だと思う。
1986
坂本龍一の流れで、YMO、TMネットワークの流れで、ユーロビートを聴き始める。
バナナラマ、
dead or alive、
リックアストリー、UKポップへと流れが変わる。
いやぁ、今聴くとユーロビート、寒いです。キモいです。(泣
このとき、高校一年生。相変わらず、ベストヒットUSAなんかはチェックしたりしていた。
周りの友達はこぞってボウイを聴いていた。あんまり好きじゃなかった。
1989
高校2年生。
クラス替えで知り合った二人の悪友と出会う。
彼らは高校生の分際でCDを100枚も所持、こと音楽に関しては僕はもう尊敬の眼差しで彼らを見ていた。
彼らは、邦楽など全く聴かず、洋楽の、しかもヘヴィメタをこよなく愛していた。
それまで、僕には全く耳に入っていなかったギターソロをなんと彼らは良いというではないか。
歌よりもギター。そんな彼らの音楽の聴き方はある意味僕の音楽人生を変えたといっても過言ではないと今思う。
当時ヘヴィメタといえば、日本では元気がでるTVでこれでもかといわんばかりにバカにされていた。
BONJOVIとユーロビート大好きだった僕に彼らは言った。
「BONJOVI?あぁ、あれね。結構売れてるみたいだけど、軽すぎるよね。」
「そ、そうなの?・・・・」
大好きなバンドをあっさり否定された僕はなす術もなく彼らのいうがまま、CDを借りた。そして買った。
ギターのリフのかっこよさにやっと気づいた僕はいつしかヘヴィメタ雑誌
burrnを毎月購入するまでに成長していた。(笑
よく作っていた自分よがり編集テープはギターの音がテンコ盛りのとても迷惑な編集であった。
1990- 1991
大学1年生。一人暮らしを始めた僕は、ヘヴィメタは女の子には全くウケが悪いことに気が付き始めていた。
それでも好きな女の子には必ずテープをプレゼント。
ダメ男です。
アメリカのヘヴィメタブームも下火になってきた頃、本国アメリカでは、nirvanaに火がつき始めていた。
押しも押されぬ、グランジ/オルタナティブブームだ。
burrn誌の評価が最低だった
NIRVANAだが、
[ NEVERMIND ]は僕のハートを虜にした。
元々聴いていた音楽はそのままに、
PEAL JAM/[VS]や、
STONE TEMPLE PILOTS/[ PURPLE ]を聴きまくった。
1992
大学2年生。ビートルズのオリジナルCDが1000円で販売されていたのを機に、アルバムを全て購入。
たちまちビートルズの魔法に魅せられる。
「やっぱりロックの基本はビートルズだね。」なんてわかったようなことをほざきまくっていた。
そのころ作ったBESTテープは必ず、ビートルズが入っていたっけ。(しみじみ
ハードロックでは、
EXTREME、MR.BIG、FIREHOUSE、METALLICA、DREAM THEATER等、テクニック系、そして美しいメロディ、美しいリフを奏でるバンドを良く聴いた。
1993
大学3年生
クラブなんてものにちょくちょく行くようになる。もちろん動機は不純そのもので、当時良くかかっていたソウル系のクラブに行っても音楽なんて全く聴いていなかった。女の子と話すのに夢中だった。
ただ、ピークタイムでかかる
マーヴィンゲイの
[ WHAT'S GOIN' ON ]には感動したっけ。
この頃から、ブリットポップというビートルズを真似たようなバンドが隆盛してくる。
あっさりまたまたハマった僕は、聴き殴る。
OASIS/[MORNING GRORY] ,
BLUR/「パークライフ」 、
ビーグル「BEAGLE」
この頃はメロディが秀逸なバンドが多かった。
そしてこの頃の僕にとっての真打と言える、JELLYFISH、ワンダースタッフの登場である。この二つのバンドのメロディセンスは他を寄せ付けない勢いがあった。もうこればっかきいてた。
1994-1995
大学4年生
UKのバンドを中心にだんだんロックもテクノとの融合みたいなものが増えてきた。それに伴い、ダークなカンジのバンドも増えてきた。
今でこそビッグになった
RADIOHEADS/[パブロハニー]、洗練されたギターのリフが超かっこいい
STONE ROSES/「SECOND COMING」、ピアノがかっこよかった
BEN FOLDS FIVE等、相変わらず素晴らしいメロディのアーティストは多かった。この頃、burrn愛読者をやめ、rockin'onとクロスビートを毎月購入するようになり、クロスビートの評価星に惑わされつづけた。
とにかく星4以上なら買っとけ、みたいな。
この年BECKが大流行。ダルダルな曲がかえって新鮮だった。 まだまだロック好きは収まらない様子。
クラブシーンではアシッドJAZZが流行っていた。UFOのアルバムだけははまった。でもDJというのはどういうことをするヒトなのかを知るのはまだまだ先のこと。
UFOのイベントに行く。死にそうにヒトが多くてライターに火がつかないくらいだった。
ayu「あのDJのヒト、ヘッドフォンで何聴いてんの?」
友人「知らん。」
ayu「良く分からんけどかっこいいね」
そんな時代。(笑
そして社会人1年生
ロックのテクノ化はますます広がり、勢いに乗っていた。ビッグビート、デジタルロックと呼ばれるジャンルがやってきて流行った。もちろん聴きまくった。
PRODIGY/「ザ・ファット・オブ・ザ・ランド」、
ケミカルブラザーズ/「ディグ・ユア・オウン・ホール」等を聴きまくった。
このころ作成していた編集テープはビートルズあり、プロディジーありのでたらめな作りだった(泣
OASISの
WHATEVERがマキシとして発売されたときは「もうこれ以上の名曲はないのではないか!?」と涙を流して聴き惚れていた。
1996-1999
ビッグビートの流れからdrum n' bassを聴くように。
GOLDIE/「TIMELESS」,
RONI SIZE/「NEW FORMS」、
LTJブケム/「Logical Progression」、PHOTEK
今まであまり聴くことのなかったリズム部に重きをおく、ドラムンベースはある意味僕にとって革命的だった。
一辺にはまった。アンビエント系なんかも結構聴いたな。
この頃からロックと呼ばれるものをあんまり聴かなくなる。ダンスミュージックなんて、とちょっとバカにしていた僕が180度変わったのは
squarepusher[FEED ME WEIRD THINGS]との出会いだった。
ドラムンベースの流れのこのアーティストはベースを生で演奏していた。
squarepusherことトムジェンキンソンは尊敬するアーティストにジャコパストリアスを挙げていた。
もちろんチェックした。聴いた。
その流れでウェザーリポート等を聴く。フュージョンは元々好きだったのでかなりハマル。
ずっと買っていた音楽雑誌を買うのをやめた。タワーレコードのフリーペーパー[bounce]さえあれば何もいらないと思った。
jazzっぽいドラムンベース、アンビエント系、アブストラクト系に完全移行。
ギターの音がなるような音楽はあんまり聴かなくなる。
でも
中村一義/[金字塔]は衝撃的だった。まさに天才出現だった。
2000
前サイト、
FEED ME WEIRD THINGSを旗揚げ。
ダサダサのショボショボな状態だけどとりあえずオープンに踏み切った。
クラブジャズ系を漁って行くうちに須永辰雄氏の初CD
[organ b. suite]をジャケ買い。
KYOTO JAZZ MASSIVE/[eclipce]と共にもうこればっか聴いてた。
スモール・サークル・オブ・フレンズ/[platform5] , なんかも良く聴いたなぁ。
須永氏のMIXで一気に話題沸騰した[it's you]。オリジナルをレコ屋にて発見。ターンテーブルを持ってないにもかかわらず購入。
その足で友人宅にターンテーブルを借りに行き聴きまくった。ホントに良く聴いた。
2001
ご存知師匠森口さんとの出会い。BBSでのカキコミからの始まり。
初めて行ったヴァイナルカフェはとても雰囲気が良くてヨレヨレのスーツを着て行くところじゃないなと反省。
JAZZDJのmixtapeを初めて聴く。これまた衝撃的。
話してみて果てしない知識の豊富さに圧倒された。
ayu「プレイ中ヘッドフォンで何聴いてるんですか?」
森口「・・・・・次の曲だよ(あきれ)・・・・」
ayu「ヴァイナルでいつからDJやってるんですか?」
森口「30歳くらいからかなあ」
ayu「え?まじっすか!?(オレも間に合うかも)」
次の週あっさりとtechnicsの名機ターンテーブル
SL1200MK3(一台のみ☆)とaudio technicaのシケミキサーを速攻で購入。
DJayuの誕生である。
練習するにもどうやってすればよいのか全く分からない。
しかもターンテーブル一つで。
その翌週バカな僕はもう一台のターンテーブルを買いに行った・・・・
ここから僕のレコード人生が始まった。
そして四苦八苦しながら初のDJMIXを作成させた。
SLEEP WALKER / AI-NO-KAWAは今でも名曲だと思う。
森口さんという強力な情報源を得た僕は水を得た魚のようにレコードを買い続けた。
やはり須永氏の影響は大きく、打ち込み系のジャズやブラジル系ハウスを主に好んで聴いた。
2002-現在
なんと森口さんからヴァイナルカフェで「一緒にやろう」とお声がかかった。マツエダさんが事情で抜けるそうだ。まさに大抜擢。
勿論即決。初プレイの時は
緊張して針を持つ手が震えた。
そしてこの年ついに結婚。入場の曲は
SATURDAY IN THE PARK。退場の曲はsleep walkerのai-no-kawaだった。
披露宴ではもう目一杯ボリュームを上げて自分の好きな曲をかけまくった。
そして今に至る。まだヘボDJは抜け出していない。 この頃から打ち込み系のJAZZから昔のJAZZにも手を出し始める。色々聴いてみて、いかに昔の曲のフレーズが今の曲にサンプリングされて使われてるかを知った。
イベントで聴いたbuddy richは久しぶりに感動で涙がでそうになった。
キティ・ウインターの[Primrose Samba]は閉店前のヴァイナルカフェに良く似合う。
NINA SIMON 、EDDIE CANO、
HORACE SILVER、
CAL TJADER、
MICHEL LEGRAND
とにかく持ち曲を増やしたくてコンピを買う率が高くなった。
現在、 四苦八苦しながら第2第4金曜日にヴァイナルカフェでプレイしている。なかなか思うようにうまくいかない。毎回が失敗の連続。もうブルーになる。しかし、
やっぱり音楽に囲まれた生活は楽しい。
そして僕にとって絶対なくてはならないものだ。
September 6, 2003 10:15 AM | 関連記事